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しゃつです

pianotap

ネコの神格化について

どうも、しゃつです。

今日は猫の話です。猫は2次元で見ることがほとんどで申し訳ないのですが、すごくかわいいと思います。

 

さて、日本の多くの人が猫と触れ合うのは当たり前と思っている中で、(3次元の)猫とほとんど関わらないという人は一定数存在します。

その代表例が工学部のオタクでしょう。中学または高校で猫とほとんど関われなかったか猫に関するトラウマがあり、猫の少ない場所の大学を選んだはいいものの、結局そこでは猫を知ることはできず、本当の猫の姿を知らない人が存在します。

そんな「本当の猫を知らない」彼らは、猫と関わる喜びを知っている人や猫自身の一部の悪い面だけを見て、猫や猫に懐かれる人を嫌悪している、と思われがちです。

もちろんそのような人もいるとは思いますが、僕が見ている中ではむしろ猫を知らないために猫を神格化してしまい、コミュニケーションをためらう(恐れ多いと感じてしまう)人が多いと思います。それは彼らの優しさ故なのですが、猫は彼らに懐かず、猫を雑に扱っているようにしか見えない人に懐いていきます。

彼らは本当は猫に関わりたいのですが、何度もそれが続けば猫や猫に懐かれる人を嫌悪するようになってしまいます。

猫嫌悪は非常に危険な状態で、社会が猫権を守ろうとする中でその思想で行動するとネコハラ(ネコ・ハラスメント)をはじめとする種々の武器で袋叩きにあうでしょう。また、長い間猫と触れ合う経験の少なかった猫嫌悪は、猫に人間らしい扱いをされるだけで自分に懐いていると勘違いしてしまい猫に尽くすため、猫にいいように利用されるか嫌われる未来しかありません(非ネココミット)。

学生時代に猫と関わってこなかった人たちが猫とまともなコミュニケーションをとれる(ましてや懐かれる)のは至難の業であり、大人になってから猫と関わろうとすると前述の非ネココミットで嫌な思いしかしない可能性が高いです。かといって、自分から関わろうとしなくても、彼らには猫耐性がないためそこらの猫に優しくされただけで「落ちて」しまいます。

では、猫のいる世の中で嫌な思いをせずに生きていくには?

「積極的にも消極的にも関わらない」が一番でしょう。

 

これを達成するため、次の手法を提案します。

「猫と関わりたい(知りたい)という気持ちを捨てた上での神格化」

言ってしまえば猫に対する嫌悪と神聖視の同居です。以下がその詳細です。

 

(この記事は書きかけです。そのうち書きます。)